2013年に卒業する2011年の大学三年生の就職活動のスタートの時期(企業の説明会の周知や開催)が、2カ月遅く12月となりました。経団連が就職活動の過熱に歯止めをかけ、学生が学業に集中できるよう、採用活動に関する倫理憲章を改定して申し合わせたためですが、採用に直結する面接や筆記試験などの選考活動は、例年通り年明けの4月で変わらないことから、就職活動の短期決戦化に焦りを感じる一部学生で、就活塾は以前にも増して盛況となり、大学のサポート活動も前倒しされ、返って就職戦線は加熱しました。また、大学生の就職率は近年低迷しており、今春卒業した学生(11年卒)が91・0%と過去最低を記録し、12年卒予定は、就職内定率(12月1日現在)68.8%で前年同期を4.3ポイント下回りました。(就職内定率は平成8年度の調査開始以来過去最低の水準)
情報化の時代になり、ネットで検索すれば自分の欲しい情報がすぐに手に入る時代となりましたが、多くの情報が有りすぎるが故に、情報に翻弄される学生も多くいます。
例えば、「就職活動のスタート時期」という表現は厳密に捉えれば、「就職を決定するために活動を開始する時期」ということであり、本来の就職活動に必要になる活動や準備段階は過去の大学生活にあります。
したがって、経団連が就職活動の過熱に歯止めをかけるためにおこなった企業の説明会の周知や開催を遅らせるたことは、学生が学業に専念するかどうかということとは結び付かず、表面的な措置にすぎません。
学生は、それらの情報に踊らされるより、新卒一括採用という日本の雇用形態のレール(本来こうあるべきではありませんが)を外れることが現在の日本社会においては「今後のキャリア形成に大きな影響を及ぼしてしまう」ことや「雇用形態において身分をわけられたあと、能力に差はなくても敬遠され続けること」に繋がりかねないことを理解しておくべきです。
大学においてもキャリア教育が進んでいる昨今では、就職を決定するための活動がどのようなことであるかは伝えられており、その活動を大学生活の中で行っていれば、就職活動時期が長かろうが短かろうが、就職を決定する時期の活動に力を注げば、就職が難しいということはありませんし、企業が求める人物像と大きくかけ離れることはありません。しかし、大学・短大への進学率が58.7%になり、大学へ行くことが専門的な勉強をするためだけに進学している学生だけではない状況では、同じ大学生といっても、思考や意識にも大きな差があり就職活動準備期の活動に大きな違いがでたり、就職を決定する時期を上手く乗り越えられなかったりする学生がでてきています。
また、大学側にとっても学生はお客様であるために、社会が厳しさを呈していることが具体的に伝えたれていなかったり、考え方の甘さを指摘したりするような教育はあまり行われていないようです。
昔と今も変わらないことは優先順位の第一は学業ですが、学校側が提供するプログラムだけでは、現代社会の企業が求める人物像に近づくことは難しいと思われますので、学生さんには、氾濫する情報を鵜呑みにして不安を助長させたりせず、学業をメインに、基本的な生活習慣を身につけることの他に、就職するために必要な情報の本質を見抜く分析力と長期の視点にたった自分の夢や目的・目標に焦点を合わせた今の行動にエネルギーを注げるようにしてください。
ある企業の人事担当者から聞いた話です。面接試験の合否は、学生がノックをして入室後、着席するまでのわずか十数秒で決まってしまうとのこと。
むろん、まだひと言も会話は交わしてはいません。
まるで剣豪が戦わずして敵の力量がわかってしまうというような話ですが、人事の“直観”、恐るべしです。
結局、その後の面接は人事担当者の“直観”を“論理的”に裏付けるための行為に過ぎないということになります。
ということは、いかに「きみをうちの会社でぜひ採用したい」と思わせるようなその“直観”を人事担当者に与えられるかということが面接試験においてのキーワードであり、学生のみなさんはこのことをまず肝に銘じておくべきです。
笑い話のように聞こえるかもしれませんが、この話は「面接試験」というものの本質を見事に言いあてています。
ちなみにここでいう“直観”とは、ビジネスマナーなどで重要視されているところの“第一印象”とはまるで似て非なるものです。
笑顔がどうのとか、元気や明るさがどうだとか、はたまた身だしなみが云々とかいった見た目の話ではありません。
“直観”とは時空を超えて、見えないものを瞬時に感じ取る力のことです。
面接試験という場において、人事担当者が見えないものとは・・・目の前に座っている学生がいかなる人生(学生生活)をおくってきたのかという真の姿です。
当然、学生は自分に都合の良いことしかいいません。しかし人事担当者にはわかるのです。いや、わかってしまうのです。目の前に座っている学生のほんとうの姿が。
それがプロの“直観”というものです。
では、いったいどのようにすれば「きみをうちの会社でぜひ採用したい」と思わせるような“直観”(“存在感”と言い換えても良いかもしれません)を人事担当者に与えることができるのでしょうか。
知識やスキルといった類の問題ではないことだけは、もうわかりでしょう。
問われているのは、これまでの“生きざま”です。学生時代、どれだけ学問に打ち込んできたのか、そして素敵な恋愛をしてきたのか。
素晴らしい友人や教師と出逢ってきたのか、あるいはたくさんの本を読み、映画を観てきたのか。
アルバイトやクラブ活動に汗を流し、時には理不尽で不条理としかいいようのない店長や先輩たちの仕打ちにもぐっと歯を食いしばって堪えてきたのか。
仮にこのような経験値を積み重ねてきた学生たちを“チャレンジしてきた学生”と呼ぶならば、4年間学校と家の往復しかしてこなかった受け身的学生、すなわち“チャレンジしてこなかった学生”との差は歴然たるものです。
顔つきが違う、目つきが違う、歩き方や態度が違う。
人事担当者を含めた大人というものは、若者を見てこれらの差を瞬時に見抜く本能をもっています。これを“直観”と呼びます。
今、社会や企業で求められている人材とは?
ひと言でいえば「主体性」と「社会性」、欲をいうなら「専門性」を兼ね備えた学生でしょう。
「主体性」とは気持ちがOFFからONにスイッチが入っているかどうか。
「社会性」とは仲良し友達同士とのコミュニケーションではなく、年齢や価値観、これからの時代であれば国籍や宗教などが異なる難しいメンバーたちと同じ目標に向かって協力していけるかどうか。
そして最後の「専門性」とは学んできた学問に関してのモノの見方や学び方を身に付けてきたかどうかということです。
“チャレンジしてきた学生”には、そんな能力や特性がさまざまな経験や体験をとおして備わってきているというわけです。
大切なことなので何度でも繰り返します。人事担当者にはこれらのことが“直観”でわかるのです。
履歴書やエントリーシートの書き方、面接の受け方は知識やスキルです。訓練によって何とでもなります。
しかし、それらがいくら上手に書けたとしても、最終的に人が人を選ぶときの本質にはなりえません。
恋人選びや結婚相手さがしと同じでしょう(例えば、相手の学歴だとか財産、あるいはおしゃべりが上手だといったような見えるものや形のあるものが最終的な決定要因にはなりませんよね、たぶん)。就職試験も同じでしょう。
ということで、今、非常に厳しい就職戦線ではありますが、就職試験においてほんとに大切なこと、準備しておかなければならないことは何か。
もうおわかりかでしょう。使い古されてきたコトバのようですが、昔の大人はよく言ったものです。
「よく学び、よく遊べ」と。今の学校教育にいちばん求められている本質を貫いたひと言ではないでしょうか。